【特集|場をひらく】vol.4:日高海渡さん「場をひらけば住空間はもっと面白くなる」 | MEANWHILE

【特集|場をひらく】vol.4:日高海渡さん
「場をひらけば住空間はもっと面白くなる」

2022.06.07

オーナーのこだわりがつまったユニークな空間のタイムシェアを通して、新しいインスピレーションとつながりに出会えるサービス「MEANWHiLE」。 この特集では、この特集では、「場をひらく」をテーマに、これまでにタイムシェアを実践してきた方たちに取材。 シェアをはじめたきっかけや、場をひらくことに対する価値観、空間へのこだわりに迫ります。

お話をお伺いするのは、建築家・日高海渡(ひだか・かいと)さん。 もともと住宅や商業施設の設計をしていましたが、株式会社swarmを立ち上げてからは不動産企画やチームビルディングをメインにお仕事をしているのだそう。

富ヶ谷にある自宅と事務所を兼ねた「ヨヨギノイエ」は、“家開き”と称して仲間に開放したり、撮影スタジオとして貸し出したりしてきました。
その素敵すぎる空間と、自宅を他人とシェアする新しい暮らし方が注目され、これまでにさまざまなメディアで紹介されています。
そんな日高さんが今回、タイムシェアすることを前提としてマンションの一室を設計・リノベーションしました。その名も「ヨヨギノハナレ」。
自社の仕事場として使いつつ、一部をスタジオやイベント用に貸し出すのだそう。

新たな場所でタイムシェアを始めるにあたり、これまでを振り返りながら「場をひらく」ことへの日高さんの思いを伺っていきます。

祖父母の家を引き継いで生まれた「ヨヨギノイエ」

日高さんが初めて自分の空間をひらいたのは、今から5年ほど前。祖父母が購入したマンションを引き継いで、住み始めたことが最初のきっかけでした。

「富ヶ谷にあるマンションを買って間もなくに、祖父が亡くなってしまったんです。経済的な事情から、祖母はほとんど住まずに、40年以上賃貸として貸し出していました。
でも年々内装も古くなって家賃も少しずつ下がってしまって。最後はもう20万円ほどで貸していると聞いて、さすがにもったいないなと思い、僕が引き継ぐことにしました」

そこで、もともとは4LDKだった部屋を日高さん自身で設計し直し、リノベーションを実施。 自宅兼事務所として使うことを想定して、オフィス作業や来客にも対応できるように設計したのだそう。
それ以外にも、部屋の中には日高さんのこだわりや趣味が垣間見えます。
たとえば、柄が素敵な布や絨毯、そして民芸品たち。そのほとんどは海外旅行で購入したものだと言います。

「中東や東南アジアに行ったときに購入したものが多いですね。両親の仕事の関係で0〜3歳までパキスタンに住んでいたので、中にはそのときに使っていたものもあります。
幼い頃は、日本の暮らしにこういう海外の絨毯や民芸品があることに違和感があったけれど、この自宅をつくるときにかっこよく見せられたらいいなと思って。平面のところに物を置くと、いかにも置きました感が出てしまうので、舞台をしつらえてあげたくて、設計の時点でわざと空間の中に凹凸をつくっています」

民芸品が集まる奥のスペースは「オープンストレージ」と名付けられていて、日高さん自身もあまり足を踏み入れないそう。

場をひらいたのは、もったいなかったから。

最初は自宅を人に貸し出すなんて、考えもしなかったという日高さん。しかし、こだわりを持って自宅をつくりあげていく中で、ある思いが芽生えます。

「この空間を一人で所有するのが、なんだかもったいなく感じてしまったんです。ここで一人でかっこつけていても意味ないなって(笑)」

それから日高さんがまず始めたのが「家開き」でした。
仲の良い友人を招いてホームパーティーをするうちに、友人がそのまた友人を呼び、その規模がどんどん大きくなっていったと言います。
今では、家主の日高さん抜きでパーティーが行われることもあるのだそう。

「一番奥の寝室にカギをかけていて、もはやそこが僕自身の玄関という感覚です。あとはすべてオープンスペース。お酒を飲むのが好きな友人が多くて、中には終電を逃す覚悟で来ている人もいるので、僕は先に寝室で寝てしまうこともあります」

さらに、住み始めて3年が経つ頃には、知人からの勧めで撮影スタジオとしてのタイムシェアを開始。「ヨヨギノイエ」と名づけ、週に二度ほど予約が入ったら家を空けて、別のオフィスで仕事をするような生活をしていたと言います。

撮影の前日には、あえてホームパーティを開催し、友人たちに協力してもらって部屋をきれいにしていたのだそう。
自宅シェアの課題になりがちな、部屋の管理の面倒さを何ともクリエイティブな発想で解決。
しかし、撮影の中には20名ほどのスタッフが出入りするようなものもあり、家具を総入れ替えされてしまったこともあったんだとか。
それをきっかけにタイムシェアを一時中止。

「ヨヨギノイエ」とは別に、気兼ねなくタイムシェアができる物件を新たに構えたいと思っていたところ、縁あって出会ったのが北参道にあるマンションでした。

家でもオフィスでもある「ヨヨギノハナレ」

「オーナーさんから『80㎡のマンションの一室をリノベーションしてください』という依頼を受けて、観に行ってみたら自宅から近いし、サイズもちょうどいい。これ、自分が借りる前提で設計したら自由に設計できるんじゃないかとひらめいて。

そこでオーナーさんに『設計費はいらないので、家開きしても良いオープンな場所にしてみませんか?』と提案したんです。その結果、設計費を無料にする代わりに、工事費の負担と規約を転貸可に変更してもらう約束で、リノベーションすることになりました」

そうしてつくられたのが、「ヨヨギノハナレ」です。日高さんのオフィスでありつつ、料理教室などのイベントや打ち合わせなどにも利用できるように設計されています。

「ヨヨギノイエ」とセットで覚えてもらえるように、あえて近しい名前に。
中には、カウンターキッチンとミーティングルーム、そしてオフィス用の執務室が二部屋あります。

「家開きしやすい条件を整えて設計していますが、今後もし僕らが退去したとしても、一般的な住宅としてもきちんと使えるようなスペックにしています。
オフィスと住宅の構造は意外と重なるので、読み替えができるなと思っていて。ダイニングテーブルはミーティングテーブルになるし、リビングルームはリラックススペースになりうる。プライベート度合いで言えば、寝室は執務室になりますよね。
置いてあるものを変えるだけで、オフィスから住宅に変身できると思っているので、そのスイッチングが可能なことを前提に設計しています」

実際に中を覗いてみると、一見オフィスには見えず、限りなく家に近い空間。境目があいまいな空間だからこそ、使い方の幅は未知数。今後どんどん広がっていくのかもしれません。

「住む」以外の選択肢が増えれば、住空間はもっとおもしろくなる

もともとは家に絶対に人を入れたくないタイプだったという日高さんが、「もったいない」という気持ちから場をひらいて以来、どんな変化があったのか聞いてみました。

「まず、めちゃくちゃ性格が変わりました。家開きをすると、毎回だいたい半分は知らない人なので、やればやるほどオープンになるし、知り合いもどんどん増えていきますね。とはいえ、“ビジネス陽キャラ”なので、疲れたら早く寝ちゃうんですけど(笑)。

あとは、以前はほとんどやっていなかったSNSも楽しんで発信できるようになりました。『ヨヨギノイエ』のInstagramのアカウントもあります。“家”というフィルターを一枚通すことで、自己表現がしやすくなるんですよね。ステーキと自分の2ショットは載せられないけれど、ステーキ焼いて自分のダイニングテーブルに置けば載せられる、みたいな」

家開きでの出会いやSNSでの発信をきっかけに、住宅リノベーションなどの仕事に繋がったケースはかなり多いと言います。

場をひらくことによって得た豊かさを、自身の中だけにとどめるのではなく、社会に広げていこうとしている日高さん。現在「ヨヨギノハナレ」とは別に、一棟まるごと新築の家開きマンションの企画も進めているのだそう。

「日本の住空間って、いつからか『家=住む場所』だから、住む以外のことをやるべきではないという考え方が常識になってしまっていたんですよね。それってすごくもったいないなと。でも、コロナ禍で家で仕事をする人がぐっと増えて、自宅とオフィスが地続きになったことで、その共通認識が若干揺らいだと思うんです。そうやって住む以外の選択肢が増えていけば、住空間がもっとおもしろくなるんじゃないかなって。

たとえば、条件やルールをきちんと作っておけば、家を事務所や習い事の教室、音楽スタジオなどに使ってもいいし、自分で使わないなら余っているスペースを必要としている人に貸してもいい。そうすれば、自分にも貸した分の収益が入ってきて家賃が実質下がるわけだから、みんなハッピーですよね。

今の時代、仕事以外に休日を使って活動している人もすごく増えているので、そういう人たちが堂々と活動できる場が増えたらいいなと思っています」

進行中の家開きマンションの一室は、飲食業許可をとれるような設計にして、自宅でバーや飲食店ができるように構想中なんだとか。
こうした日高さんの取り組みは、誰かの「やりたいけれど無理だと諦めていた夢」を、現実のものにしてくれるかもしれません。

長い間固定化されてきた「家」の概念を壊し、より柔軟に、より多くの人にとってハッピーな形を模索し続ける日高さん。
その思いに触れて、ひらいた先の世界は前向きな可能性に満ちていると感じました。

txt: Aki Murayama
photo: Eichi Tano